プロフィール
桃仙人店主 呉 大可(ウー タク)
1983年中国瀋陽生まれ。母の実家が中国で料理店を経営しており、美味しい中華料理に囲まれて幼少期を過ごす。父の仕事の関係で、12才で来日、東京で育つ。
大学卒業後、大手金融機関に4年間勤務するも、「両親の技術を受け継ぎ、料理を仕事にしたい」という思いが募り、退職。当時父が東京で経営していた中華料理店で、料理と経営を一から勉強。「自分の店を開くなら、地方で」という希望を実現するため、結婚を機に岡山に転居。
2015年11月に桃仙人をオープン。
自己紹介
なぜ、中国で生まれた私が、今、岡山で中華料理屋を経営しているのか。私の人生ストーリーをご紹介します。
「私の原点は、両親が作る中華料理です。」
1957年中国瀋陽生まれの私の父は、19歳の時に、文化大革命期の下放政策により、強制的に内モンゴルの農村に送られました。そこで、炊事係を任された父は、様々な食材を扱う面白さや、他人の為に食事を作る喜びに目覚め、21歳で瀋陽への帰還が認められた後、料理人として働く道を選びました。
一方、母の実家は、母の祖父母の代から続く中華料理店を経営しており、母はその店で給仕係として働いていました。その後、就職先の国営レストランで出会った二人は結婚、1983年に私が誕生しました。
その頃すでに、一人っ子政策が始まっており、私も従兄弟たちも皆、一人っ子。幼い頃、両親は共働きで忙しかったですが、祖父母や叔母がよく私の面倒を見てくれました。まだ開発が進んでいない素朴な街並み、人々の活気溢れる市場、そして母の実家の中華料理店で食べた美味しい料理の数々・・瀋陽で過ごした幼少期の楽しい思い出は、今でも色鮮やかに、私の心に残っています。
(母と幼い私)
(瀋陽故宮にて)
私の人生に転機が訪れたのは、12歳の頃。父が、友人の派遣会社を通じて、料理人として、海外で働く機会を得たのです。アメリカ、オーストラリアなど、他にもいくつか選択肢がある中で、父は渡航先に日本を選びました。突然の事でしたが、私の中では、親戚や友人と離れる寂しさや不安よりも、未知の国での新しい生活に心踊る思いの方が勝っていたのを覚えています。
そうして、東京都府中市で、両親と私、家族3人での生活が始まりました。中華料理店の雇われ料理人として働き始めた父の給料は少なく、風呂なし6畳一間のアパートで暮らしながら、倹約家の母が生活を切り詰めて、お金を貯めていました。私は、小学校6年生に編入しましたが、外国人で日本語が全くわからない上に、家庭が貧乏だったため、周囲と上手く馴染めず、疎外感を感じる日々が続きました。体が大きく、強気な性格だったため、深刻ないじめには遭いませんでしたが、日本に来てからは、辛い経験も多い青春時代でした。
そんな中でも、私を救ってくれたのは、やはり両親の作る中華料理でした。両親は、節約生活の中でも、食事だけはお腹いっぱい食べさせてくれましたし、愛情の込もった手作りの料理は、私に自分が深く愛されていて、大丈夫なのだと感じさせてくれました。また、同級生を家に招待して両親の料理を振る舞うことが、友達作りのきっかけにもなりました。
そうして私は日本で成長し、一浪の末、一橋大学経済学部に入学することができました。両親も、日本在留10 年で、永住権を取得でき、コツコツと貯めた資金で、小さな中華料理店を開業しました。
(2002年に父と母が東京で開業した小さなお店1号店)
大学時代は、勉強、バスケットボール部の練習、お店の手伝い、と毎日体力の限界まで活動する日々。卒業後は、三井住友銀行に入行し、法人営業の仕事を担当しました。就職して4年が経ち、仕事にも慣れてきた頃、私の中では、本当にこのままでいいのかという思いがくすぶり始めていました。人生の大半の時間を費やす仕事に、真の情熱を燃やしたいと思った時、やはり、両親の技術や味を受け継いで、料理を一生の仕事にしたいという思いが、日に日に大きくなっていったのです。
そして、挑戦するなら若いうち、と銀行を退職することに、あまり迷いはありませんでした。両親は反対しましたが、最終的には私の意志を尊重してくれ、私は実家のお店で働きながら、中華料理の技術を学び始めました。「見て覚えろ」という職人気質の父の傍で、一通りの仕事を覚えた後、両親は中国に帰国し、私一人でお店の経営を任されるようになりました。
そして、料理の仕事を始めて4年後、私は東京のお店を知人に譲り、岡山に引っ越しました。理由は、結婚を機に、生活の場所を東京よりも環境の良い地方に移したかったことと、新たな場所で、自分のお店を一から作ることに挑戦したかったからです。岡山は妻の実家がある場所とはいえ、特に当てもない移住でしたが、運良く、わたなべ生鮮館さんとの出会いがあり、引っ越して9ヶ月後の、2015年11月に「桃仙人」を開店することができました。
(桃仙人の内装は、ほぼ手作りで仕上げました。)
自分のお店を出すに当たり、さらに安全で美味しいものを提供したいと考え、すべての料理から化学調味料を抜いて味を調整し、材料も可能な限り、国産のものに切り替えました。その後、営業しながら、お客様に様々なご指摘をいただき、少しずつお店の完成度を高め、今に至ります。
正直なところ、一から自営業を軌道に乗せるのは楽ではなく、次々と現れる難題を前に、心が折れそうになることもあります。それでもここまで続けてこられたのは、辛い時にいつも僕を励まし、周りとの絆を結ぶきっかけとなってくれた、両親の中華料理という宝物を、受け継いで守り、自分なりに進化させ、周りの人々と分かち合う、という仕事に、私は揺るぎない意義を感じるからです。
お客様の笑顔や、「ありがとう、ご馳走様。」の言葉に、疲れも吹き飛びます。そして、お客様、取引先の方々、アルバイトさん達・・応援してくださる人との沢山の出会いに幸せを感じます。
ここまで、心のままに生きてきた私に、この先にどのような新たな展開が待っているのかはわかりませんが、今の目の前の目標は、「桃仙人」を、地元の方に誇りに思ってもらえるような名店に育て上げることです。それに向かって、日々強い気持ちで、臨んで行きたいと思います。
どんな小さなことでも、お店について、お客様の感想やご意見をお聞かせください。よろしくお願い致します。
2017年6月に出演したFMくらしきラジオ「おまかせ!キミセ暮らし♪」という番組にゲスト出演しました。
こちらでも、お店や私自身についてお話ししているので、ぜひお聞きください。